【南アフリカの音楽】アパルトヘイトから現代までを深掘り。

曲・ジャンル解説
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はじめに

南アフリカの音楽は、その複雑な歴史と多様な文化が織りなす、豊かで魅力的な音楽世界です。

アパルトヘイトという暗黒期を乗り越え、民主化後には世界的な音楽シーンに大きな影響を与えてきました。

この記事では、南アフリカ音楽の歴史を、アパルトヘイト以前から現代までを追いながら、その魅力と特徴をより深く掘り下げていきます。

アパルトヘイトとは?

アパルトヘイトとは、かつて南アフリカ共和国で実施されていた人種隔離政策のことです。

簡単に言うと、白人黒人など有色人種に対して行った差別的な制度のことです。

アパルトヘイトの特徴

  • 人種による厳格な区別:
    南アフリカの人々は、白人、黒人、インド人、有色人種(カラード)などに厳密に分けられ、それぞれに異なる権利と義務が与えられました。

  • 居住地の制限:
    各人種は、住む場所が法律で決められており、自由に移動することはできませんでした。

  • 教育の差別:
    白人向けの学校と有色人種向けの学校は、質や教育内容が大きく異なり、有色人種は高等教育を受ける機会が限られていました。

  • 政治参加の制限:
    政治への参加は、主に白人に限定されており、有色人種は選挙権や政治活動の権利をほとんど持っていませんでした。

  • 経済的な不平等:
    有色人種は、低賃金の仕事にしか就けず、経済的な格差が拡大しました。

アパルトヘイトの背景

アパルトヘイトは、南アフリカに多く住んでいたヨーロッパ系白人(アフリカーナー)が、自分たちの政治的・経済的な優位性を維持するために、有色人種を差別し、抑圧するために作られました。

アパルトヘイトの影響

アパルトヘイトは、南アフリカ社会に深い傷跡を残しました。

人種間の対立を激化させ、経済発展を阻害し、国際社会から孤立させるなど、様々な悪影響をもたらしました。

アパルトヘイトの終結

世界中の非難を受け、国内でも抵抗運動が活発化した結果、アパルトヘイトは1994年に廃止されました。

ネルソン・マンデラ氏が南アフリカ共和国初の黒人大統領に就任し、人種間の和解と民主主義国家の建設を目指しました。

アパルトヘイトは、人種差別がもたらす悲惨な結果を象徴する歴史的な出来事です。

アパルトヘイト以前の音楽

伝統と多様性の源

アパルトヘイト以前の南アフリカでは、多様な民族がそれぞれ独自の音楽文化を持っていました。

ズールー族の「イシバトショ」、コサ族の「ムバカンガ」など、伝統的な歌や踊りは、単なる娯楽を超え、コミュニティの絆を深め、歴史や神話、社会規範を伝える重要な役割を果たしていました。

また、19世紀後半以降は、ヨーロッパの音楽の影響も徐々に浸透していきます。

特に、アフリカーナーと呼ばれる白人系住民の間では、ヨーロッパのクラシック音楽やポピュラー音楽が広く親しまれるようになりました。

アパルトヘイト時代の音楽

アパルトヘイト政策下では、黒人音楽家は差別や弾圧を受け、自由に音楽活動を行うことができませんでした。

しかし、彼らは音楽を通じて、抑圧された感情を表現し、抵抗の意思を示しました。

プロテストソング

ミリアム・メイクバやハリー・ベラフォンテなどのミュージシャンは、アパルトヘイトに対する抗議の歌を歌い、世界的な注目を集めました。

彼らの歌は、人々の心に火をつけ、自由を求める闘いを象徴する存在となりました。

地下音楽

アパルトヘイト政府の検閲を避けるため、多くのミュージシャンは地下で活動し、独自の音楽シーンを築きました。

これらの音楽は、政治的なメッセージを暗号化したり、比喩を用いたりすることで、当局の目を欺きながら、人々に勇気を与えました。

マラビ

ジャズと伝統音楽の融合によって生まれたマラビは、南アフリカ独自の音楽スタイルとして発展しました。

マラビは、アパルトヘイトの困難な状況下において、人々に安らぎと喜びをもたらす音楽として愛されました。

アパルトヘイト後の音楽

1994年民主化以降、南アフリカの音楽シーンは大きく変化しました。

人種隔離の壁が崩壊し、様々な音楽ジャンルが自由に融合されるようになりました。

クワイア

教会音楽が発展し、ゴスペルやクワイアの音楽が人気を集めました。

特に、ネルソン・マンデラの就任式で歌われた「シュワ・シュワ」は、国民統合の象徴となりました。

ケープジャズ

ケープタウンを拠点とするジャズミュージシャンたちが、伝統的なジャズにアフリカのリズムを取り入れ、新たなスタイルを確立しました。

ハウスミュージック

世界的なハウスミュージックの流行を受けて、南アフリカでもハウスミュージックが発展し、多くのDJやプロデューサーが誕生しました。

Kwaito

トランス、ハウス、ヒップホップなどの要素を融合させたKwaitoは、南アフリカの若者を中心に人気を集め、国民的な音楽ジャンルとなりました。

アマピアーノ

近年では、アフロハウスやローファイハウスの影響を受けたアマピアーノが若者を中心に流行しています。

南アフリカ音楽が世界に与えた影響

南アフリカの音楽は、その独特のリズムとメロディで世界中の音楽ファンを魅了してきました。

ミリアム・メイクバやパトリック・フェリンドンなどのミュージシャンは、ワールドミュージックの代表的なアーティストとして活躍し、アフリカ音楽を世界に広めました。

また、近年では、アマピアーノが世界的に注目を集め、南アフリカ音楽の新たな潮流となっています。

まとめと今後の展望

南アフリカの音楽は、その歴史の中で数々の試練と変化を経験してきました。

しかし、その中でも音楽は人々を繋ぎ、希望を与える力となってきました。

アパルトヘイトという暗黒期を乗り越え、民主化後には世界にその名を轟かせる音楽を生み出してきた南アフリカ。

その音楽は、これからも多くの人々に感動と喜びを与え続けるでしょう。

今後の南アフリカ音楽は、ますます多様化し、グローバルな音楽シーンの中で独自の地位を確立していくことが予想されます。

新しいテクノロジーの導入や、若き才能の台頭など、今後の展開に目が離せません。

この記事を書いた人
@RAIN

音高・音大卒業後、新卒で芸能マネージャーになり、25歳からはフリーランスで芸能・音楽の裏方をしています。音楽業界で経験したことなどをこっそり書いています。
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