はじめに
音楽の基礎を学ぶ際にまず触れるのは、西洋音楽の「ドレミファソラシド」という七つの音からなる音階です。しかし、中国をはじめとする東アジアの多くの伝統音楽では、「ドレミソラ」という五つの音、すなわち五音音階(ペンタトニック・スケール)が基礎を成しています。
この二つの音階は、単に音の数が違うだけでなく、それぞれの文化圏で発達した音楽の構造、感情表現、そして理論的な体系に根本的な違いをもたらしています。この違いを深く理解することは、中国音楽の魅力を理論的に把握する第一歩となります。
旋律の基礎:五音音階の構造と特徴
五音音階の基本構成と音程
西洋のドレミファソラシドは、七つの音が「全音、全音、半音、全音、全音、全音、半音」という音程構造で配置されています。対して、中国音楽の基本となる五音音階は、五つの音(宮、商、角、徴、羽に相当)で構成され、原則として半音を含まない構造を持っています。
例えば、ハ長調のドを「宮」とした場合、その構成音はド、レ、ミ、ソ、ラとなり、ミとファ、シとドの間の半音階が存在しません。この「半音がない」という特徴は、五音音階の旋律が持つ独特の明るさ、あるいは素朴さ、そして安定感の源となっています。
和声との関係:緊張と解放のメカニズム
西洋音楽の大きな特徴は、半音程を利用した和声(ハーモニー)の発達です。特に「シ」と「ド」の間にある半音程は、不安定な「導音」として働き、安定した「主音」へと解決しようとする強い緊張と解放のドラマを生み出します。このドミナント(属和音)からトニック(主和音)への解決という機能和声のシステムは、西洋音楽の構造の核です。
しかし、半音が存在しない中国の五音音階では、西洋的な意味での強い不協和音や、それを解決する和声進行の必要性が希薄です。そのため、中国伝統音楽は和声的な奥行きよりも、単旋律の美しさや装飾的な表現を深く追求する方向に発展しました。
音楽が持つ哲学的背景の違い
七音音階に基づく西洋音楽は、中世の教会音楽から発展し、論理的、数学的な厳密さを持って体系化されました。これはしばしば、目的論的、あるいは直線的な時間感覚と結びつけられます。一方で、五音音階に基づく中国音楽は、古代の思想(五行思想など)と深く結びついており、五つの音は木、火、土、金、水といった自然の要素や、君、臣、民といった社会的な関係に対応するとされていました。
この思想的な背景から、中国音楽は自然との調和や循環的な時間感覚を重視し、機能和声のような強い方向性よりも、音色の変化やリズムの自由さを重視する傾向が強くなっています。
応用と変容:五音音階の拡張と旋法
七音音階への拡張:偏音と変音の役割
五音音階を基礎としながらも、中国音楽は表現の幅を広げるために、しばしば五音以外の音(半音)を加えて七音音階として使用します。これらは偏音(特定の音に変化を与える装飾的な音)や変音(音階そのものを構成する音として加えられる音)と呼ばれます。
偏音としての使用は、西洋音楽における倚音(いおん)や経過音のように、旋律に彩りや情感を加える一時的なものです。例えば、ある音から次の音へ滑らかに移行する際のグリッサンド的な表現や、音を飾るメリスマ的な装飾によく用いられます。一方、変音として五音音階に「ファ」や「シ」に相当する音を組み込むことで、伝統的な五音の雰囲気を保ちつつ、より多様で現代的な表現力を獲得しています。特に現代の創作国楽では、西洋の和声法を取り入れるために、この変音を積極的に使用することが一般的です。
五つの旋法(モード)の理論と感情表現
五音音階は、宮、商、角、徴、羽の五つの音のどれを主音(中心音)とするかによって、五種類の旋法(モード)を生み出します。西洋音楽でドを主音とする「イオニアン・モード」(長調)が最も一般的であるように、中国音楽でもどの音を主音とするかで、音楽全体の雰囲気や感情表現が大きく変わります。
- 宮調式(C-D-E-G-A):長調に近い、明るく安定した雰囲気で、祝典的な音楽に多用されます。
- 商調式(D-E-G-A-C):哀愁や物悲しさを帯びた雰囲気があり、悲劇的な物語や感情を描写する際に効果的です。
- 角調式(E-G-A-C-D):静かで、瞑想的な雰囲気を持っています。自然や風景を描写する際に用いられることが多いです。
- 徴調式(G-A-C-D-E):力強く、雄大な雰囲気があり、行進曲や戦闘シーンなど強い意志を示す音楽に適しています。
- 羽調式(A-C-D-E-G):沈鬱で、暗い雰囲気を持っており、深い悲しみや孤独感を表現する際に使われます。
このように、五音音階でありながら、主音を変えるだけでこれほど多様な表現が可能になることが、中国伝統音楽の理論的な奥深さを示しています。これは、限られた音素材の中で、旋律の表情を最大限に引き出す知恵であると言えます。
現代音楽への応用と影響
西洋作曲家への影響と東洋趣味
五音音階のシンプルな構造と、和声的な制約の少なさは、特に近代以降の西洋の作曲家たちに大きな影響を与えました。ドビュッシーやラヴェル、プッチーニなど、異国情緒(エキゾチシズム)を求めた作曲家たちは、この五音音階を導入することで、従来の西洋音楽にはなかった東洋的な響きや、浮遊感のある音世界を表現しました。
五音音階は、西洋の十二平均律の中で、調性(特定のキーへの依存)から自由になるための一つの手段として応用されたのです。半音を含まない五音音階は、不協和音を生じにくいため、複雑な和声の上に乗せても耳障りになりにくく、色彩的な響きの創造に貢献しました。
ポピュラー音楽における普遍性
五音音階は、中国伝統音楽に限らず、ブルース、ロック、ジャズなど、世界中のポピュラー音楽で最も広く使われる音階の一つです。これは、半音がないためにどんなコード(和音)の上でも比較的スムーズに聴こえるという汎用性の高さに起因します。
特にジャズやブルースでは、五音音階に短三度や減五度を加えた「ブルース・スケール」が発展し、独特の渋い情感を表現しています。半音の緊張感から解放されているため、即興演奏(アドリブ)においても使いやすく、多くのギターソロやメロディの基礎となっています。中国音楽の旋律の美しさが、現代のポピュラー音楽において、普遍的な音楽言語として世界に共有されていると言えます。
まとめ
西洋音楽の「ドレミ」に代表される七音音階と、中国音楽の五音音階の最も大きな違いは、半音の存在とその利用方法にあります。半音の有無が、西洋では和声と緊張・解放のドラマを生み出し、中国では旋律の洗練と旋法(モード)による多様な情感表現を生み出しました。
五音音階は、シンプルでありながら五つの旋法によって豊かな表現力を持ち、さらには現代の国際的な音楽シーンにおいても応用され続けています。この理論的な背景を理解することで、中国音楽が持つ独自の美意識と、その文化的価値をより深く味わうことができるでしょう。
参考文献
- 小泉文夫. (1984). 日本の音 世界の音. 岩波新書.
- 岸辺成雄. (1969). 中国の音楽. 音楽之友社.
- 三善清達. (2012). 音楽理論の基礎と応用. ヤマハミュージックメディア.
