はじめに
あなたは「2035年問題」という言葉を聞いたことがありますか?
これは、日本の将来の働き方、ひいては社会経済のあり方を大きく左右する可能性を秘めた、私たち一人ひとりのキャリアに直結する重要なテーマです。
実は、終身雇用を前提とした「正社員」という働き方が減少し、個人事業主やフリーランスといった「多様な働き方」が今後一層増加するという予測は、厚生労働省の報告書にも明確に示されています。しかし、その事実は、なぜか主要なニュースで大きく取り上げられることは少ないのが現状です。
「本当にそんな未来が来るの?」「自分はどう備えればいい?」――そんな疑問や不安を感じる方もいるでしょう。
この記事では、働き方改革や日本経済の専門家として、なぜこのような働き方の変化が予測されているのか、すでにどのような変化が始まっているのか、今後どのような働き方が増えるのか、そして日本の働き方全体がどのように変化していくのかについて、具体的なデータや事例を交えながら詳しく解説していきます。未来の働き方を理解し、自身のキャリアを主体的にデザインするためのヒントを、ぜひ見つけてください。
なぜ正社員が減るのか?不可逆的な社会構造
2035年に向けて日本の働き方が大きく変化すると予測される背景には、単一の要因ではなく、複数の社会経済的要因が複雑に絡み合い、もはや不可逆的な社会構造の変化として進行している現実があります。
人口減少と少子高齢化
日本の総人口は2008年をピークに減少の一途を辿り、特に労働力の中核を担う生産年齢人口(15歳~64歳)の減少は深刻です。国立社会保障・人口問題研究所の将来推計人口(2023年公表)によると、生産年齢人口は2020年の約7,500万人から、2030年には約7,000万人、2040年には約6,000万人まで減少すると見込まれています。これにより、企業は慢性的な労働力不足に直面し、人材獲得競争は激化の一途を辿ります。
一方で、高齢化が進むことで社会保障費(年金、医療、介護)の負担は増大し、その費用は企業にも重くのしかかります。このような状況下で、企業は人件費を固定費として抱える正社員の数を必要最小限に抑え、必要な時に必要な専門スキルを持つ人材を外部から流動的に調達する方向へとシフトせざるを得ません。
これが、企業がフリーランスや業務委託契約の活用を加速させる大きな動機付けとなるのです。企業は、固定費の削減と同時に、景気変動や事業環境の変化に対するリスクヘッジとしての意味合いも強めています。
スキル資本主義
かつての「終身雇用・年功序列」という日本型雇用システムは、時代の変化とともに機能不全を起こしつつあります。現代の労働市場はより流動的になり、企業は変化の激しいビジネス環境、特にグローバル競争の加速やDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進に対応するため、特定のスキルや経験を持つ人材を期間限定で雇用したり、プロジェクトごとに外部委託したりするケースが加速度的に増えています。
この流れの中で、個人にとっても、一つの会社に縛られることなく、自身の専門性や希少性の高いスキルを高め、複数の企業やプロジェクトで活躍することが、キャリアを築く上で有利になる時代になりつつあります。まさに「スキル資本主義」とも言える状況が台頭しており、学歴や所属企業よりも、「何ができるか」「どんな価値を提供できるか」という個人のスキルと実績が、市場価値を決定する重要な要素となるのです。
特定の分野で高いスキルを持つ人材は、企業から高額な報酬で求められるようになり、フリーランスとして独立する選択肢が魅力的になるだけでなく、不可避な選択肢ともなりつつあります。
「どこでも働ける」環境の実現
インターネットやIT技術の目覚ましい発展は、場所や時間にとらわれない働き方を劇的に加速させました。高速インターネット環境、オンライン会議ツール(Zoom, Teamsなど)、クラウドサービス(Google Workspace, Microsoft 365など)、プロジェクト管理ツール(Slack, Trelloなど)の普及により、物理的に離れた場所からでもチームとして効率的に仕事を進められるようになりました。
これにより、企業はオフィス環境を維持するコストを大幅に削減でき、地方の人材や海外の人材も活用できるようになります。個人は、都市部に住む必要がなくなり、より柔軟な働き方を選べるようになります。通勤時間の削減、育児や介護との両立、地方移住、ワーケーションなど、個人のライフスタイルに合わせた多様な働き方が実現しやすくなっています。
特に、デジタルノマドのように、場所にとらわれずに世界中で仕事をするライフスタイルも現実のものとなり、フリーランスという働き方を強力に後押ししています。AI技術の進化も、定型業務の自動化を進め、より創造的で非定型的な業務に人の手が求められるようになり、これもまた専門性の高いフリーランスの需要を高める要因となるでしょう。
すでに始まっている変化の兆し
「2035年問題」は遠い未来の話ではありません。すでに私たちの身の回りでは、働き方の大きな変化の兆候がいくつも見られます。
公務員の副業解禁
これまで厳しく制限されてきた公務員の副業・兼業が、近年、地域によっては解禁される動きが広がっています。例えば、神戸市が2017年に全国で初めて、職員の地域貢献を目的とした副業を解禁したことを皮切りに、現在では多くの自治体で条件付きながら副業を容認する動きが見られます。
この背景には、公務員の多様なスキルを地域社会に還元したいという狙いだけでなく、行政自身も多様な働き方を許容し、職員のエンゲージメント向上や、時代の変化への対応を図ろうとする姿勢があります。このような「お堅い」と思われがちな公的機関でさえも、働き方の柔軟化を模索し始めている現状は、日本全体の働き方が大きく変化していることの明確なサインと言えるでしょう。
労働人口におけるフリーランス比率の増加
中小企業庁の「2021年版中小企業白書」によれば、日本のフリーランス人口は年々増加傾向にあります。特にコロナ禍を機に、企業のリモートワーク導入やDX推進が加速し、フリーランスへの業務委託が増加した側面もあります。
個人の側でも、働き方の自由度を求めたり、収入源の多様化を図ったりする目的で、フリーランスを選ぶ人が増えています。この流れは今後さらに加速すると見られています。
企業の副業容認・推奨
大手企業を中心に、社員の副業を容認・推奨する企業が爆発的に増えています。経済産業省が推進する「柔軟な働き方に関する検討会」などでも、副業・兼業は重要なテーマとして議論されており、国としてもこれを後押しする動きがあります。
企業は、社員が副業を通じて新たなスキルを習得したり、社外での人脈を広げたりすることが、結果的に本業にも良い影響を与えると期待しています。これは、従来の「会社に全てを捧げる」働き方から、「個人のキャリアを会社も支援する」という新しい関係性への変化を示唆しています。
今後増加が予測される働き方
これらの背景と現状の変化を踏まえると、2035年に向けて、特に以下の働き方が社会の主流となり、私たちのキャリア選択肢を大きく広げると予測されます。
個人事業主・フリーランス
企業に所属せず、自身のスキルや専門性を活かして複数のクライアントと直接契約し、独立して働くスタイルは、今後最も増加する働き方の一つです。ITエンジニア(Web開発、AI開発)、デザイナー(UI/UXデザイン、グラフィックデザイン)、ライター、コンサルタント、コンテンツクリエイター、そして前述のテレビ業界の編集者やテロップデザイナーなど、専門性の高い職種で増加が見込まれます。
個人の裁量で時間や場所をコントロールできる柔軟性と、自身のスキルが直接収入に結びつくやりがいが、この働き方の大きな魅力です。
副業・兼業
本業を持ちながら、空き時間や週末に別の仕事をするスタイルは、すでに多くのビジネスパーソンが実践し始めています。これは、収入源の多角化による経済的安定、本業とは異なるスキルアップ、社外での人脈形成、さらには自己実現や趣味の延長として、様々な目的で副業を行う人が増えるでしょう。
企業側も、社員のスキルアップやエンゲージメント向上、優秀な人材の定着を期待して、副業を積極的に容認・推奨する動きが加速すると考えられます。これにより、個人のキャリアポートフォリオを構築する意識が高まるでしょう。
業務委託契約に基づく専門職
企業と直接雇用契約を結ばず、特定の業務やプロジェクトを外部の個人や法人に専門的に委託する形です。これはフリーランスと重なる部分も多いですが、より明確に業務の範囲や成果物が契約によって定められるケースが多いです。
例えば、新規事業の立ち上げ時のマーケティング戦略、特定のソフトウェア開発、法務コンプライアンスの専門家などがこれに当たります。企業は必要な時に必要なスキルをピンポイントで調達でき、個人は自身の専門性を最大限に活かし、高報酬を得られるメリットがあります。
ギグワーカー
インターネット上のプラットフォームを介して、単発的で短時間の仕事(ギグワーク)を請け負う働き方です。フードデリバリー(例:Uber Eats)、家事代行、データ入力、クラウドソーシングでのタスクなどが代表的です。
極めて柔軟な働き方ができる一方で、雇用契約がないため、労働時間や最低賃金、社会保障(健康保険、年金、雇用保険など)や労働法による保護の対象外となる人々が増える可能性も指摘されています。政府や社会は、この新しい働き方に対する新たなセーフティネットの構築や、労働者の保護に関する法整備を進める必要に迫られるでしょう。
日本の働き方はどのように変化していくのか
これらの働き方の変化は、日本の社会と経済に広範かつ深遠な影響を与えるでしょう。
「個人のスキル」がキャリアを左右する時代へ
企業が正社員を固定的に抱えることが経済的・経営的に難しくなるにつれて、「個人がどのような専門スキル、普遍的なスキルを持っているか」が、より強く問われるようになります。学歴や所属企業だけでなく、具体的な専門性や実績、そして市場で通用する価値を創造する能力が、キャリアを形成し、維持していく上で最も重要な要素となるでしょう。
個人は、常に自身の市場価値を高めるために、リスキリング(学び直し)やアップスキリング(スキルの高度化)に積極的に取り組み、自身のキャリアを主体的に設計していく必要があります。企業もまた、社員のリスキリング支援に投資するようになるでしょう。
新たなセーフティネットの構築
正社員以外の働き方が増えることで、多様なライフスタイルや価値観に合わせた働き方が選択できるようになります。育児や介護との両立、自己啓発、地方創生への参加など、個人の状況に合わせた柔軟な働き方がしやすくなることで、より多様な人材が労働市場に参加できるようになることが期待されます。
しかし、その一方で、非正規雇用やフリーランスの増加は、従来の社会保障制度の枠組みから外れる人々を増やすという課題も孕んでいます。政府や企業は、これらの多様な働き方に対応した新たな社会保障制度の構築や、労働者の保護に関する法整備を進める必要に迫られるでしょう。例えば、フリーランス向けの労災保険や、多様な働き方に対応した年金制度などが求められます。
企業の「人材活用」戦略の変革
企業は、正社員を「抱え込む」のではなく、「いかに外部の専門スキルや知見を効率的かつ効果的に活用するか」という視点へと、人材戦略を大きく転換していくでしょう。
フリーランスや副業者との協業、外部コンサルタントの活用は、企業がスピーディーに変化に対応し、組織の活性化を図るための重要な戦略となります。これにより、企業の組織形態もよりフラットでプロジェクトベースのものへと変化していく可能性があります。
ワーク・ライフ・バランスの進化
働く個人にとっては、自身の裁量で働く時間や場所を選べる自由度が高まり、より柔軟なワーク・ライフ・バランスを実現しやすくなる可能性があります。通勤ストレスからの解放や、地方での暮らしと都市での仕事の両立など、個人の幸福度(ウェルビーイング)を追求した働き方が選択できるようになることが期待されます。
企業側も、社員の満足度や生産性向上を目指し、より柔軟な働き方を推進していくでしょう。
2035年に向けた準備
2035年問題は、単なる未来予測ではなく、すでに私たちの目の前で、そして着実に進行している働き方の大きな変化を示唆しています。この大きな転換期を生き抜くために、私たち個人は何をすべきでしょうか。
それは、自身の専門性を磨き続けること、そして変化に対応できる柔軟な思考と、主体的に行動する力を持つことです。一つの会社や一つの雇用形態に依存するのではなく、自身のスキルを市場で通用する価値に変え、自身のキャリアを主体的にデザインしていく視点が、これからの時代には不可欠となるでしょう。
学び続ける意欲を持ち、新しい情報や技術を積極的に取り入れ、多様な働き方の中から自分に最適な選択肢を見極める目を養うことが、未来を切り拓く鍵となります。未来の働き方は、決して誰かに与えられるものではなく、あなたの選択と行動によって形作られていくのです。今こそ、自身のキャリアについて深く考え、行動を起こす時です。